本日(27日)夕方は都心でも雪が降るのではないかという。
22日からのこの週は本当に寒かった。幼稚園の門の前にメダカが泳ぐ発泡スチロールの水槽があるのだが、26日午後の暖かな時間帯に表面の氷を持ち上げてみたら厚さが3センチあった。こんな分厚いものが東京でも出来るのかと、感慨深かった。
もともと秋田県南のいわゆる豪雪地帯生まれなのだが、雪国の冬の空は分厚い雲の絨毯が手の届きそうなところに垂れ込める。その雲が地表の熱が逃げるのを蓋する羽布団のような働きをするので、そんなに冷えることがないのだ。子どもの頃「水道管凍結に注意」と言われたら、蛇口からチョロチョロ水を流しておけば問題なかった。東京地方でもテレビでこの対処法を散々流していて、なんだかナツカシいなぁとひとり悦に入った。
初めて社会人になって住んだのは岩手県・盛岡市だった。この街は生まれ故郷から見たら全然雪のない冬なのだが、人生初の太平洋側、冬なのに青空がまぶしいという経験をした。空に雪雲がない。しかし、ということはいわゆる放射冷却が起こって容赦なく気温を下げる。アパートから国道をくぐってほんの5分程度で着く銭湯の帰り、洗い髪はガリガリ君のように凍り付き、タオルはアイロンでもかけたようにピンシャキに凍って掌の上に立つ。生来の慣れで水道をチョロチョロ流して寝たら、翌日はみごとな芸術作品のごとく、シンク全体がスケートリンクになっている中央に、近未来的氷のタワーが立ち上って蛇口にくっついていた。
牧師になって二つ目の教会は遠野教会だった。前々任者のお連れ合いが「寝ていると寒さで頭が痛くなるから毛糸の帽子を被って寝る」と言っていたのを冗談だと聞き流したが、イヤイヤ本当だった。午後3時になると薄暗くなり、山肌を冷気が駆け下りてくるのが見える。盆地ならではの極寒、大体マイナス16度。
まだまだ寒い話はたくさんあるのだけど、読者の皆さんに身震いをプレゼントしてもなんなので、続きはまたいつか。